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以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「The Google antitrust remedy should extinguish surveillance, not democratize it」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

もし我々の疲弊したこの世界の動向にほんの少しでも注目しているなら、Googleが司法省の反トラスト局による反トラスト法訴訟で敗訴し、今や名実ともに、紛れもない、有罪判決を受けた「独占企業」となったことを耳にしたかもしれない。

これは重大なことだ。画期的なことだ。司法省は、炎を吐くような独占撲滅者ジョナサン・カンターの指揮の下、4年前に彼が任命された時には考えられないことを成し遂げた。カンターが反トラスト局の局長として初日に職務に就いたとき、集まった検察官たちに向かって、一度も敗訴したことがない人は手を挙げるよう求めた。

それは巧妙な罠だった。勝利を鼻にかけた誇り高き司法省の弁護士たちが腕を突き上げた瞬間、カンターはジェームズ・コミーの言葉を引用した。コミーがニューヨーク南部地区の地方検事として初日に発した言葉だった。「君たちは臆病者の集まりだ」。一度も敗訴したことのない連邦検察官とは、チョロい標的だけを追及し、(最もガードの固い)最悪の違反者を野放しにする検察官のことからだ。

カンターが指揮する反トラスト局は、決して臆病者の集まりではなかった。彼らは最大の獲物、最も難しい標的に挑み、Googleという最も手強い標的を追い詰めた。

繰り返すが、これはとんでもなく重大なことだ。

https://www.thebignewsletter.com/p/boom-judge-rules-google-is-a-monopolist

しかし、これはまだ始まりに過ぎない。

Googleが有罪判決を受けた今、裁判所は今後どうすべきかを決定しなくてはならない。法令違反への判決を下す場合、裁判所には多くの裁量権がある。「行為是正措置」(「もうそれをするな」)を命じることもできるが、一般的には、管理が難しいことから、あまり有効ではないと考えられている。Googleのような企業に何かをやめろと言っても、その命令の遵守を確認するのに膨大な労力を費やさなければならない。行為是正措置は、関係する企業への罰則であると同時に、政府にとっても罰則になる(遵守を確認するために数百万ドルを費やして企業を詳細に監視しなければならない)。

しかし、裁判所はGoogleに特定の行為をやめるよう命じることもできる。例えば、今回の判決でGoogleが違法に独占を維持したと認定されたのは、Apple、Mozilla、Samsung、AT&Tなどの他の企業に、デフォルトの検索エンジンになるための対価を支払っていたからだ。裁判所はそれをやめるよう命じることができる。少なくとも監視よりはずっと簡単だ。

だが、最も強力なのは「構造的」是正措置だ。裁判所はGoogleに事業の一部を売却するよう命じることもできる。例えば、アドテクスタックがそれに該当する。Googleはこのアドテクスタックを通じて、自社が所有する市場で買い手と売り手の両方を代表すると同時に、買い手と売り手として競合している。これについてはすでに超党派の法案が提出されている(どれほど超党派かというと、主な共同提案者がテッド・クルーズとエリザベス・ウォーレンだ!)。

https://pluralistic.net/2023/05/25/structural-separation/#america-act

これらすべて、そしてそれ以上のことが検討されている。

https://www.wired.com/story/google-search-monopoly-judge-amit-mehta-options

判事が命じる可能性が高いものについては、秋にはもっと明確になるだろう。しかし、Googleが判決に控訴し、最高裁判所に持ち込もうとし、さらに救済措置に控訴するなど、この訴訟は長引く可能性がある。時間切れを狙って引き延ばすのは、反トラスト訴訟におけるテック企業の伝統芸だ。IBMは1970年から1982年まで12年間、反トラスト訴訟を引き延ばした(彼らはこれを「反トラストのベトナム」と呼んだ)。これは高くつく賭けだ。IBMは12年連続で司法省反トラスト局全体の予算を上回る支出をし、司法省と戦うために雇った弁護士の数は、司法省が全米の反トラスト法執行のために雇った弁護士の数を上回った。IBMは賭けに勝った。レーガンが当選し、司法長官に訴訟の取り下げを命じるまで持ちこたえたのだ。

90年代には、Microsoftが同様の手口を用いている。訴訟は1998年に開始され、Microsoftは1999年に敗訴した。彼らは控訴し、訴訟を引き延ばした。そして2000年にジョージ・W・ブッシュが大統領選挙で勝利を盗み、2001年に訴訟を取り下げるまで続いた。

Googleの弁護士たちは100%確実にこう考えているはずだ。「よし、トランプ系のPACに数億ドルを投じ、彼が大統領になるまで待とう。そして司法長官アンドリュー・テイトに密かに話をつけて、訴訟を取り下げるよう説得する。IBMでうまくいった。Microsoftでもうまくいった。我々もうまくいくはずだ。それに何と言っても安上がりだ」。

そのように物事は悪い方に進むのかもしれないが、その悪い方向も一本道ではない。メータ判事は判決の中で、Googleが違法に独占を作り出し維持したことで、商業的監視に依存しない競合他社の可能性を排除し、ユーザのプライバシーを侵害したという司法省の主張を退けた。

判事は、マーケティング業界で好んで使う、しかし馬鹿げた俗説を鵜呑みにしている。例えば、関連性のある広告であれば、人々はその広告を好むので、ユーザを監視すれば各人に適切な広告をターゲティングしやすくなり、その結果、ユーザを助けることになる、というアイデアだ。

まず第一に、これは広告業界が「広告が流れている時にチャンネルを変えることは『テレビを盗む』行為だ」と言って、テレビリモコンに大々的な反対キャンペーンを展開していた時代から繰り返されてきた自己中心的な戯言に過ぎない。もし「関連性のある」広告がそんなに素晴らしいなら、誰もリモコンに手を伸ばさないだろう。いやそれどころか、番組が再開されても、チャンネルを変えて「もっと多くの広告」を探すだろう。広告が好きヤツなんていない。ましてや自分たちのプライベートな行動や考えを標的にした「関連性のある」広告など、嫌悪しているし、気味が悪いとすら感じている。

Appleがユーザに、人類史上最も洗練された商業的監視システムであるFacebookのスパイ行為をワンクリックでオプトアウトする選択肢を提供したことを覚えているだろうか? Appleユーザの96%以上が監視システムをオプトアウトした。ハイエクを信奉するエコノミストでさえ、これがあきらかな顕示選好であることを認めざるを得ないだろう。人々は関連性のある広告なんて望んでいない。以上だ。

判事がこの明らかなナンセンスに騙されていることは、Googleに対する反トラスト法違反の告発の性質――つまり同社が広告市場を独占していたこと――を考慮すると、二重の意味で憂慮される。

誤解しないでほしいが、Googleは広告市場を独占している。彼らは「フルスタック」のアドテクショップを運営している。売り手と買い手が使うツールと、そのツールを使う市場を支配することで、Googleは広告主と出版社から数十億ドルを盗んでいる。それは、ジェダイブルーという同社がFacebookと結んだ違法な共謀協定以前からそうだった。だが、この協定により、両社は市場を分割して利益を増大させ、広告主から搾取し、パブリッシャを飢えさせ、小規模なライバルを締め出したのだ。

https://en.wikipedia.org/wiki/Jedi_Blue

Googleの独占力がもたらしている影響の1つが、世界的なプライバシー危機だ。強力なプライバシー法がある地域(EUなど)では、Googleは便宜置籍地(アイルランド、お前のことだぞ)を利用して、堂々と法律を破っている。

https://pluralistic.net/2023/05/15/finnegans-snooze/#dirty-old-town

世界の他の地域では、Googleは監視カルテルの他のメンバーと協力して、プライバシー法の制定を阻止している。それゆえ、米国では1988年以来、新しい連邦プライバシー法が制定されていない。1988年に議会が行動を起こしたのは、ビデオレンタル店の店員があなたが借りて帰ったVHSカセットについて新聞記者に話すことを禁止するためだった。

https://en.wikipedia.org/wiki/Video_Privacy_Protection_Act

プライバシー法の欠如とプライバシー執行の欠如は、Googleが世界中の数十億の人々に計り知れないプライバシーの害を与えることを意味する。我々が行うこと、オンラインとオフラインで我々が行くところ、我々が持つ関係、我々が買うもの、言うこと、行うこと――それらすべてが収集され、保存され、採掘され、我々に敵対的に使用される。ここでの直接的な被害は、常に監視下にあるという不気味な感覚だ。これは基本的人権の侵害であり、我々が本当の自分になることを妨げている。

https://www.theguardian.com/technology/blog/2013/jun/14/nsa-prism

監視の被害は単に精神的、心理的なものだけではない 。物質的でもあるし直接的でもある。商業的監視産業は、ストーカーや賞金稼ぎが標的の玄関先に現れたり、警察がデモ参加者の携帯電話の位置データを使って彼らを一斉検挙したり、詐欺師が漏洩または購入したプライベート情報からカモを絞り込んだりするなど、恐怖の原材料を提供している。

https://pluralistic.net/2023/12/06/privacy-first/#but-not-just-privacy

Googleが監視ビジネスモデルを独占していることの問題は、「彼らが我々をスパイしている」ことだ。しかし、ある種の競争論者によれば、問題はGoogleが人権侵害を「独占」していることであり、競争法によって商業的監視を「民主化」しなければならない、ということになるらしい。

なんとも倒錯した考えだが、これは競争理論の根本的な分裂を表している。独占撲滅者トラストバスターの中には、競争それ自体を目的化し、崇拝する者もいる。彼らは、競争が企業をより良く、より効率的にすると信じているのだ。しかし、我々は企業に「より良く」人権侵害してほしいわけではないし、「効率的に」人権侵害してもらいたいわけでもない。人権侵害を「改善」したいのではなく、「禁止」したいのだ。

他の(私のような)独占撲滅者にとって、競争法執行の目的は単に企業により良い製品を提供させることではなく、企業を民主的な法の執行によって責任を負わせることができるほど小さくすることだ。私はGoogleを破壊し、分割したい。なぜなら、プライバシー法を無視する連中の力をなくし、商業的監視のがんを根絶したいからだ。Googleを小さくして、「他の監視企業」がゲームに参加できるようにしたいのではない。

この決定からそのような事態が生じる現実の危険性があり、それに対して警戒しなければならない。先月、Googleはテック業界に衝撃を与えた。サードパーティクッキーを廃止するという長年の約束を履行しないと発表したのだ。サードパーティクッキーは商業的監視の中でも、最も悪質で危険なツールだ。この方針転換の理由は、EUがサードパーティクッキーの廃止を反競争的とみなす可能性があることへの懸念のようだ。GoogleはChromeでオーウェル的な「プライバシーサンドボックス」技術を用いて商業的監視を維持するつもりであり、そうなるとGoogle以外の全ての企業がインターネットユーザを監視しにくくなるからだ。

https://www.thebignewsletter.com/p/googles-trail-of-crumbs

その通りだ! これは反競争的だ。しかし、答えは大小を問わずすべてのテクノロジー企業に人権を侵害する普遍的な力を与え続けることではない。答えは、すべての企業――特にGoogle――による監視を禁止することだ!

競争法におけるこの流れはまだ周縁にとどまっているが、Googleの事件では、同社が違法に監視広告を支配していると認定しながら、監視自体が害であるという考えを退けた。この悪しきアイデアが周縁から中心へと移動しつつあるのだ。

もしそうなれば、大変なことになる。

「アトリビューション(attribution)」を例に取ろう。これはアドテク業界の、恐ろしく悪質な慣行を隠蔽するための隠語だ。「アトリビューション」とは、アドテク企業が広告を見せた後、ユーザがどこに行こうと追跡し、そのすべての行動を監視して、広告が購買を促すのに効果があったのかを判断する手法である。文字通り、ユーザの携帯電話から生成され、BluetoothやWi-Fi受信機で取得された位置データとクレジットカードのデータと組み合わせて、ユーザがどこに行こうと追跡し、すべてを記録している。広告が商品を購入させたことを販売者に証明するために、だ。

言葉では言い表せないほどにグロテスクだ。違法であるべきだ。世界の多くの地域では違法化されているが、Googleのような独占企業に莫大な富をもたらすものであるため、当局者を買収してやり過ごすことができる。さらに、このような「サービス」を実行し、これほど密接かつ侵襲的に監視するリソースを持っているのは、ごく一握りの巨大企業に限られる。

しかしここでも、一部の競争理論家はこの状況を見て、「そうだな、これは正しくない。『誰もが』アトリビューションを行えるようにしなければならない」と言い出す。これは(それ以外は非常に素晴らしい)2020年の競争・市場庁の市場調査「オンラインプラットフォームとデジタル広告」の(完全に狂気じみた)前提だった。

https://assets.publishing.service.gov.uk/media/5fa557668fa8f5788db46efc/Final_report_Digital_ALT_TEXT.pdf

この(繰り返すが、それ以外は理にかなった)文書は、アトリビューションの話題になると完全に的外れになる。ある箇所では、著者らは商業的監視からオプトアウトした人々であっても、アトリビューションに限定して企業がスパイすることを法律で認めるべきだと提案している。

さらに悪いことに、文書の終わりの方で、著者らは、すべての英国民に恒久的な政府発行の広告識別子を与える「ユーザID介入」により、小規模企業がアトリビューションを行いやすくすることさえ提案している。

広告主がアトリビューションを好み、それを実行できる企業に優先的に選ぶのは分かる。しかし、広告主が広告の効果を確認するために我々の生活の隅々まで覗き込みたいと思っているという事実は、それを許可する理由にはならない。ましてや、市場に介入してそれをさらに容易にし、より多くの商業的スパイ企業が我々のプライベートに首を突っ込めるようにすることなどもってのほかだ!

英国の弁護士によるこの社説のように、このアイデアは何度でも蒸し返される。彼は「オンライン広告におけるGoogleの支配」を修正する方法として、アドテクの2大企業デュオポリーとモバイルの2大企業が作り出し独占する商業的監視識別子を使って、誰もが我々を追跡できるようにすることを提案している。

https://www.thesling.org/what-to-do-about-googles-dominance-of-online-advertising/

これらの企業は腐りきっている。広告を支配することで、パブリッシャ広告主から何十億ドルも盗んでいる。その金で我々の民主的なプロセスを掌握し、我々のプライベートデータを略奪し、我々を危険に晒し、我々の人権が守られないようにしているのだ。

広告は適応する。マーケティングの連中は変化が訪れることを知っている。彼らはすでに、クリックを測定できず、行動をアトリビューションできない世界(つまり、原初の広告から2000年代初頭までの世界)でどう生き残るかについて議論している。https://sparktoro.com/blog/attribution-is-dying-clicks-are-dying-marketing-is-going-back-to-the-20th-century/

Googleの独占に対する公平な解決策は、プライバシーの権利を侵害するものであってはならない。Googleの独占を監視の競争によって解決してはならない。Googleの独占を解消すべき理由は、監視を「終わらせる」ためなのだ。

(Image: Cryteria, CC BY 3.0, modified)

Pluralistic: The Google antitrust remedy should extinguish surveillance, not democratize it (07 Aug 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: August 7, 2024
Translation: heatwave_p2p

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