以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「The specific process by which Google enshittified its search」という記事を翻訳したものである。
どんなデジタルビジネスでも、技術的には「メタクソ化」できる。つまり、ビジネスの根本的な機能をユーザごとにリアルタイムで変更できるため、ビジネス顧客、エンドユーザ、株主の間で価値を素早く移転できるのだ。
https://pluralistic.net/2023/02/19/twiddler/
このスレッドをエッセイ形式で読んだり共有したい方は、私の監視フリー、広告フリー、トラッキングフリーのブログ、pluralistic.netをチェックしてほしい(訳注:もともとのテキストはTwitter上のスレッドに書かれている)。
https://pluralistic.net/2024/04/24/naming-names/#prabhakar-raghavan
ここで重要な疑問が湧いてくる。それまでメタクソ化(enshittify)を抑えていた企業が、なぜある特定のタイミングでメタクソ化に踏み切るのか。結局のところ、企業はどのタイミングでもビジネス顧客やエンドユーザを悪しざまに扱えば利益を得られる。プロダクトの価格を上げ、サプライヤーへの支払いを減らせば、投資家に多くのお金を渡せるからだ。
もちろん、そう簡単な話ではない。不正、法外な価格設定、プロダクトの劣化は利益をもたらすかもしれないが、同時に損失のリスクも抱える。ライバルに顧客を奪われたり、規制当局に罰せられたり、プロダクトを信じている善良な従業員が大量離職するかもしれない。
企業は自社プロダクトをメタクソ化しないことを選ぶ。しかし、ある時点でメタクソ化に踏み切る。これを説明する一つの理論は、企業が競争リスク、規制当局の姿勢、従業員の勇気に関するデータを収集し、継続的に評価しているというものだ。そうした評価から、メタクソ化(enshittification)に有利な条件が整ったと判断すると、CEOは壁にある大きな「メタクソ化」レバーのところに行き、それを勢いよく限界まで引き下げるのだ、と。
確かに、そのような企業もある。そして、その代償を払っている。MyspaceやYahooを思い出してほしい。品質を下げ、価格(ドルまたはアテンション、つまり広告)をつり上げることで自ら没落への道をたどり、やがて無名の存在となって姿を消した。こうした企業は、劣化させればもっと儲かるという賭けに出て、その過ちによって敗れ去ったのだ。
しかしこのモデルでは、すべてのテック企業が同時にメタクソ化を進める「大メタクソ化」を説明できない。おそらく、これらの企業はすべて同じビジネスニュースレターに登録して(より可能性が高いのは、同じ経営コンサルティング会社に助言をもらって)(コホン、マッキンゼー、コホン)いて、それが業界全体のメタクソ化の号砲となっているのかもしれない。
私はもっと別の理由があると考えている。CEOの主な仕事は、毎朝出勤してメタクソ化レバーを全力で引っ張ることだ。サプライヤーや顧客から自社へと価値をシフトさせることで、会社のコストや収入を少しでも改善しようと願っているのだ。
デジタルサービスの良さを実感できるのは、メタクソ化レバーが動かないとき、つまりレバーが制約されているときだ。競争、規制、メタクソ化を修正する相互運用可能なMODやハック(代替クライアントや広告ブロッカーなど)、そして逼迫した労働市場や強力な労働組合によって交渉力を持つ労働者の存在が、メタクソ化を制約するのだ。
https://pluralistic.net/2023/11/09/lead-me-not-into-temptation/#chamberlain
Googleが中国の検索結果を検閲し、反体制派を中国の秘密警察に密告する秘密の中国向け検索エンジンの構築を命じたとき、Googler(Googleの従業員たち)は反乱を起こして拒否し、プロジェクトは頓挫した。
https://en.wikipedia.org/wiki/Dragonfly_(search_engine)
Googleが戦場から遠く離れた民間人を標的・殺害するドローン用のAIを構築する米国政府の契約に応札しようとしたとき、Googlerは反乱を起こして拒否し、プロジェクトは立ち消えになった。
https://www.nytimes.com/2018/06/01/technology/google-pentagon-project-maven.html
それ以降に起こったこと、つまりすべてのテック企業が一斉にメタクソ化している背景には、特にGoogleにおけるテックワーカーの力が崩壊したことがある。Googleでは、800億ドルの自社株買いの数ヶ月後、1万2000人の従業員が解雇された。その800億ドルは、彼らを今後27年間雇い続けられる額だった。同様に、反トラスト法が昏睡状態になっていたおかげで、ビッグテックは有力な競合企業を次々買収したり、略奪的な価格設定スキームによって無力化できたことで、テック業界のボスたちの競争への懸念も後退した。プライバシー、労働、消費者保護など、他の政策の執行も緩んだことで、メタクソ化レバーはさらに自由に動くようになった。また、ほぼすべてのリバースエンジニアリングやアフターマーケット改造を犯罪化する知的財産権の拡大により、メタクソ化レバーを制約していた互換性も、摩擦を与えなくなった。
今やすべてのテック企業のメタクソ化レバーは、どこまでも動くようになった。ボスが出勤してクソ化レバーを引っ張れば、それはMAXまで行ってしまう。Googlerたちがガザでの大量虐殺へのGoogleの加担に抗議すると、Googleはプロジェクトを中止するどころか、大量の従業員を解雇した。
メタクソ化はマクロ経済の現象であり、競争、プライバシー、労働、消費者保護、知的財産に関する規制環境によって決定される。しかし、メタクソ化はまたミクロ経済の現象でもあって、自社プロダクトやサービスを劣化させようとするメタクソ推進派(enshittifiers)と、理念または結果への怖れからプロダクトの価値を維持し、改善していこうとするメタクソ反対派が、企業内の取締役会やプロダクト・プランニング会議で日々闘争した結果である。
このミクロ経済の闘争にこそ、メタクソ化のヒーローとヴィランがいる。ユーザのために戦い、公正な取引を支持する人々と、自社に利益をもたらし、自分がボーナスや昇進を勝ち取るために不正や破壊を厭わない人々との戦いだ。
https://locusmag.com/2023/11/commentary-by-cory-doctorow-dont-be-evil/
企業は秘密主義の塊であり、たまたまリークしたメモや内部告発、あるいは派手な労働者の反乱でもなければ、内部の議論を垣間見ることはできない。通常、こうしたミクロ経済の闘争は不透明だ。しかし、ひとたび企業が法廷に引きずり出されると、企業の内部運営を覗き見る新しい窓が開く。原告が米国政府である場合には特に。
話をGoogleに戻そう。メタクソ化の代名詞とも言えるGoogleは、四半世紀前にインターネットに革命をもたらした。その検索エンジンはあまりにも優れていたので、まるで魔法のように感じられた。しかし、それはあまりにも急速に、あまりにもひどく劣化してしまった。インターネットユーザの90%が検索エンジンをインターネットへの玄関口として頼っているのに、Googleを通してではインターネットの全体像は見えなくなってしまった。
Googleは司法省の反トラスト部門に提訴されており、それはつまり、同社の内部メールやメモが明るみに出るにつれて、同社の内情を深くまで見ることができるということだ。
https://pluralistic.net/2023/10/03/not-feeling-lucky/#fundamental-laws-of-economics
Googleはテック企業であり、テック企業には文学的な文化がある。テキストによるコミュニケーションで動いているのだ。雑談でさえ、オフィスの給湯室ではなくチャットツールで行われる。つまり、テック企業には、これまでに犯したすべての犯罪を自白した巨大なデータベースがあるのだ。
https://pluralistic.net/2023/09/03/big-tech-cant-stop-telling-on-itself/
そのGoogleの犯罪データベースの大部分が今や公開されている。その量たるや膨大なもので、おいそれと解析し、その意味するところを理解するのはとてもじゃないが難しい。しかし、それに挑戦し、金脈を掘り当てた者もいる。その探鉱者の一人がエド・ジットロンだ。彼は、Google検索がメタクソ化に転じた正確な瞬間を描き出し、堕落の中心にいた幹部の名前を挙げている。
https://www.wheresyoured.at/the-men-who-killed-google
ジットロンは、検索の質をめぐる取締役会の闘争の物語を綴っている。その取締役会で、Googleの全盛期を支えた古参Googlerであるベン・ゴームズが、コンピュータサイエンティストからマネージャーに転身したプラバカール・ラガバンとの闘争に敗れたのだ。ラガバンの戦術は、検索の質を下げることで検索クエリの数(つまり、同社が検索者に表示できる広告の数)を増やすこと(訳注:「エンゲージメント・ハッキング」)だった。そうすれば、ユーザは目的のものを見つけるまでにGoogleでより長く時間を過ごさなければならなくなる。
ジットロンはこの2人の経歴を対比させている。ヒーローのゴームズは19年間Googleで働き、とてつもなく困難な技術的スケーリングの問題を解決し、最終的に同社の「検索皇帝」になった。一方、ヴィランのラガバンは、2005年から2012年までYahooの検索トップを務めるなど、キャリアを通じて「失敗を重ねながら出世」してきた。ラガバンの指揮下では、Yahooの検索市場シェアは30.4%から14%に落ち込み、最終的にYahooは検索事業を完全に放棄し、Bingに取って代わられた。
ジットロンが掘り当てた社内メモから、ラガバンがCEOのスンダー・ピチャイ(元マッキンゼー社員)の助けを借りて、ゴームズ追放が画策されていったことがわかる。iPhoneやSamsung、Mozillaまで、あらゆる検索ボックス提供者とGoogleとの独占的な取引により、品質を落としてもビジネスへの影響はないだろうという(正確な)考えのもと、プロダクトを劣化させて利益を上げようとするメタクソ化の勝利だった。
単に大きすぎて潰せない企業の姿ではない。FTC委員長のリナ・カーンが『The Daily Show』で言ったように、「大きすぎて気にしない(too big to care)」のだ。
https://www.youtube.com/watch?v=oaDTiWaYfcM
裁判所の証拠資料を丹念に調査したジットロンの記事は、大変に素晴らしい。しかし、一点だけ異論がある。ジットロンは「テック業界を運営している人々が、もはやそれを作った人々ではないからだ」と言う。
私は逆だと思っている。これらの企業の経営幹部には常にメタクソ化推進派がいたと考えている。ページとブリンが犯罪的なエリック・シュミットを引き入れて同社の経営を委ねたとき、シュミットは間違いなく毎日、儀式的にメタクソ化レバーを力いっぱい引っ張ることから始めただろう。違いを生み出すのは、誰が経営幹部かではない。レバーがどれだけ自由に動くかだ。
土曜日、私はこう書いた。
プラットフォームはかつて我々を丁重にもてなしたが、今では虐げている。それは、おいしい餌で我々を惹きつけ、囲い込んでから裏切ってやろうと、じっくりと罠を仕掛けていたからではない。テック業界のボスたちに、何年もかけて待ち伏せする忍耐力はない。
https://pluralistic.net/2024/04/22/kargo-kult-kaptialism/#dont-buy-it
そしたらHacker Newsの誰かが、この箇所に「バカバカしい。テックのボスたちは実際、何年もかけて待ち伏せする忍耐力を持っている。それはほとんどのスタートアップのビジネスモデルそのものだ」と書いた。
https://news.ycombinator.com/item?id=40114339
残念ながら、それは正しくない。スタートアップのビジネスモデルは、毎日メタクソ化レバーを引き続けることだ。テック業界のボスたちは、従業員、ユーザ、ビジネス顧客、サプライヤーからすべての価値を奪い取る完璧なタイミングを狙いすましているわけではない。彼らは常にその価値を得ようとしているのだ。彼らが大きすぎて気にしなくてよくなったときにだけ、それに成功するのだ。それが“大きすぎて気にしない”の定義だ。
反トラスト法の世界では、しばしば「手続き自体が罰になる」と言われる。司法省によるGoogleへの訴訟がどうなろうと、その中で働く人たちが可視化されたのだ。これらの多くの事実は、裁判の過程である程度明らかになっているものの、秘密主義のために大きな注目を集めるには至っていない。しかし、ジットロンの仕事が示すように、今や永久にパブリックドメイン化された文書の宝物庫に、たくさんの宝物が眠っているのだ。
未来の学者がメタクソ紀(enshittocene)を研究するとき、彼らはジットロンたちの記述を探しあて、古き良きインターネットからメタクソネット(enshitternet)への転換点を見出すだろう。その未来の学者たちが、自らの発見を公開できる新しき良きインターネットを手にしていることを願うばかりである。
Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: April 24, 2024
Translation: heatwave_p2p
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