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集団移転の決断から今年で20年を迎える。十二平集落に顔を見せる仲間も減った。それでも俊郎さんは今も毎日車で20分ほどかけ養鯉池がある十二平集落に通う。かつて自宅のあった土地は更地となり人が住めない「災害危険区域」となった。「それが地震だ」とつぶやき、こう続けた。「俺は移転して良かったと思っている」。住民は移転翌年、集落に住んでいた証を残そうと各戸の跡地に屋号看板を立てた。俊郎さん宅の跡地にも祖父の呼び名「じろべえ」を刻んだ石碑が立っている。