まさにこの通り。この災害での岸田政権(石川県知事含む)の対応を前に感じた大きな違和感、奇妙さの正体がこれ。自分たちの社会の劣化に唖然とした
やはり、自民党が裏金でDappi等の工作員を雇って、30年で随分腐った余波が、ツイッターにも現れているのでしょうか
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James F.「日本って、こんな国だったっけ?と、去年くらいからなんども味わった訝しい気持ちを、ふたたび、さらに強烈な形で味わっているところです」https://t.co/zLtHQXELzrhttps://t.co/zLtHQXELzr
— NewsSharing (@newssharing1) January 14, 2024
James F.「日本って、こんな国だったっけ?と、去年くらいからなんども味わった訝しい気持ちを、ふたたび、さらに強烈な形で味わっているところです。能登のひとたち、これから生きていけるのだろうか?」
日本の社会は災害に強いことで有名だが、今回は、遠くから見ていて、「あれ?」とおもうことが多かった。
阪神淡路大震災のとき、ニュース(英語)でも「自衛隊の内々の出動打診を首相が反自衛隊の立場から断った」と説明されていたのを憶えているが、あとで、これはどうやら当時の自社さ連立政権に対立していた勢力が流した嘘だった、ということになったようでした。
政府に対立する人たちが強く問題にした「初動の遅れ」が、では、どの程度だったのかとおもっていま調べて見ると
1.緊急救助活動、すなわち、救助隊や消防、警察などの緊急救助活動の開始は、ほぼ即時始まっている。
2.自衛隊による救助活動は、震災発生後の同日中に始まっている。
初めの部隊が活動を始めるのは、震災発生後、だいたい3時間です。
「白い眉毛が長くてかわいい」というので、当時、英語社会の女の人たちに人気が出た村山富市の社会党政府は震災発生後約3時間で災害派遣を決定し、自衛隊が動員されている。
どうも自民党?が流した虚偽と後で訂正された「自衛隊の打診を断った」というのはレスポンスタイムの点から言っても、ほんとうではなさそうです。
3.今回、台湾政府からの申し出を「必要ありません」と断って、おお、日本政府は救助に自信を持っているのだな、あんまりたいしたことないんだ、では、ほっといて大丈夫だね、と海外の国の官民を安心させた海外からの救助の申し出は、救助隊のいちばん乗りがスイスで、発生後3日で到着、ただちに活動を開始しています。そのあと陸続と国際救助隊がやってきた。復興のおおきなパワーのひとつは一日平均2万人以上、延べ117万人(!)を数えたボランティアの力であったことは、当時の記事や震災復興を描いた本(例:「神戸震災日記」)を読むとよく判ります。
ずっと後年になって、オウム真理教のサリン事件と並んで子供の時に大ショックを受けた神戸震災がどんなものだったかお温習いするために(日本語で)読んだときに考えたのは、自分の善意だけを頼りに日本全国から三々五々集まった「ボランティア」のひとびとと被災地の住民、自衛隊、行政が、話し合いを繰り返して、なんとか力をあわせて、それこそ瓦礫を掻き分けるように必死に協力しあって復興していく姿で、2009年と2011年2月のクライストチャーチ地震のときも、どうすればボランティアの善意を実際の復興作業に活かせるか、という難しい問題などを考えるために参考にされていた。
駆けつけたボランティアのひとたちの姿を見ることは、被災者のひとびとの最大の心の支えであったように見えました。
村山政権は朝野をあげて初動対応の遅れを糾弾され、無能の烙印を捺されて、半年後、内閣は瓦解します。
こうやって書いていくと、「あれ?」の内容が、判るでしょう?
まるで異なる国のようです。ボランティアが全国から駆けつけるどころか、ボランティアは邪魔でしかないんだから引っ込んでいてくれ、ということになり、災害援助を丸投げにされた消防士、医療従事者、自衛隊員たちは疲労の色が濃く、昨日などは若い研修医のひとが「過疎地を復興するのは国力の無駄だから、やめてしまおう」と提案して、それがSNS上で支持されていたりして、30年で、ずいぶん冷たい、人間性を欠いた国になったものだなあ、と、気が滅入ってしまった。
この十数年、「なにごとにも冷徹で理性を失わないクールなおれ」という、英語社会ではあまりの幼稚なナルシシスムに吹き出されて終わりになるに違いない態度の、しかも40代を過ぎたひとたちを観て、大丈夫なんだろうか、と考えてきた、日本のいまの、どうやら日本語ネット上のインフルエンサーを淵源とするらしいトレンドが、そのまま現実になって眼前に現れる結果になった。
天然全体主義と呼びたくなるほど、自分の観点を持たず、必ず政府や社会の観点から個人を見下ろすように思考を始める日本の人の奇妙な癖/反応は十分に心得ていたはずなのに、どうしても自分が住む個人重視の自由社会と混同する癖がまだ抜けきっていなくて、ボランティアが受け入れられない理屈は判ったけど、せめて、体育館の雑魚寝は解消しないと被災地の人はたまらないのではないか、と述べたら、案の定「なぜ出来ないか」の陳弁が並んで、
「そんなこと出来るわけがないでしょう。日本人が懸命にやっていることを、どうか判ってください」と、言われてしまって、その結果は、嫌な事をいうようだが、またぞろ海外の人間から「これに耐えられるから日本人は災害に強いんだね」と異星人を観るような目で賛嘆される体育館での雑魚寝で、もっと嫌な事をいうと、度重なる災害で学習したはずの、いまならコロナなどの感染症の蔓延、思いつくだけでも災害には付きもののcrush syndrome、雑魚寝を強いられることからくる深部静脈血栓症・肺塞栓症、臓器のなかでもストレスの影響を強く受ける子宮が引き起こす腟炎・外陰炎症、子宮附属器炎,骨盤腹膜炎、月経不順、続発無月経、文明国並の災害救済が受けられないことからくる、さまざまな病変に、被災したひとびとが耐えられるものかどうか。現地の惨状が隠蔽しようがなくなったときに自治体と政府が取りそうな政策は二次避難で、全国ホテルチェーン(例:アパホテル)などに要請して、全国に被災者をばら撒くことだが、能登がある加賀・越前は、一向宗の「百姓の持ちたる国」の伝統で、日本のなかでも取り分けコミュニティが強い土地柄だと聞いている。
限界村落だの、役立たずの年寄り村だのと言われながら、人口がみるみる老化減少して、若い研修医に「諦めろ」と言われるような土地に住んでいるのは、その自分が安心立命できるコミュニティのなかで、死んでいきたかったからでしょう。
そこから老人たちを引き剥がすことは、生木を裂くどころではなくて、生き身をふたつに切り分けることに似ている。今回は、日本政府そのものが「たいしたことありませんので、どうかお気遣いなく」と言わんばかりの対応で、言い換えれば「余計な手助けなんていらないから、やらないでください」と言われて、海外では初めから災害規模からすると、びっくりするくらい関心の低さを反映した報道の扱いだったが、だいたいアメリカ合衆国の大統領選レースの始まりくらいとともに、もうすでに忘れられた地震になる徴候が見えていて、自信たっぷりの日本政府の面々の顔を眺めながら、
そんなら、もういいね、ということになっている。あれやこれや。
ニュースを読んでいると、気が付かないうちに鬱々とした気持ちになるが、目の前の現実が、いまの日本語社会の現実になってしまったのだから、現実を認めなければ仕方がないといえば仕方がないのだけど、
日本って、こんな国だったっけ?と、去年くらいからなんども味わった訝しい気持ちを、ふたたび、さらに強烈な形で味わっているところです。能登のひとたち、これから生きていけるのだろうか?
そんな心配、余計だし、くだらない、と日本の人たちは笑うだろうけれど。
日本の社会は災害に強いことで有名だが、今回は、遠くから見ていて、「あれ?」とおもうことが多かった。…
— James F. ガメ・オベール (@gamayauber01) January 11, 2024
投稿 James F.「日本って、こんな国だったっけ?と、去年くらいからなんども味わった訝しい気持ちを、ふたたび、さらに強烈な形で味わっているところです。能登のひとたち、これから生きていけるのだろうか?」 は NewsSharing に最初に表示されました。