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以下の文章は、コリイ・ドクトロウの「1900s futurism」という記事を翻訳したものである。

Pluralistic

私は未来を予測できるという考えには懐疑的だ。そして、SF作家が預言者だという考えにはもっと懐疑的だ。前者はグロテスクな運命論であり(未来が予測可能なら、我々の行動は関係ない)、後者は悲喜劇的な傲慢さである。

とはいえ、未来を理解し、期待し(そして、そう、構築し)続けるにあたって、私の友人で作家仲間のカール・シュローダーほど一貫して有益な存在はいない。彼と知り合ったのは16歳の時だ。私が「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは彼からだ。「フラクタル」「ワールド・ワイド・ウェブ」「ftp」など、地平線の向こうに広がる未来を象徴する数多くの言葉も、彼から教わった。

実際、カールは未来主義者(「フォアサイト・コンサルタント」)であり、小説に注ぐ鋭い洞察力、豊かな想像力、謙虚な姿勢をその仕事に活かしている。未来主義者と SF 作家という2つの顔を持つ彼が執筆した新しいエッセイは、20世紀のSFが投げかけたトキシックな影、つまり彼の言葉を借りれば「1900年代のサイエンス・フィクション」を的確に捉えている。

https://kschroeder.substack.com/p/the-science-fiction-of-the-1900s

カールは1900年代の未来の奇妙な「ダブル・ビジョン」を説明するところから始める。一方では(私自身を含む)多くの人々は、核がもたらす終末は避けられないと確信していた。常軌を逸した核軍拡競争の設計者たちとは異なり、現実主義者は核戦争が未来を事実上終わらせることを理解していたのだ。「第三次世界大戦がどのような武器で戦われるかは分からないが、第四次世界大戦は棒切れと石で戦われるだろう」とアインシュタインが言ったように。

しかし、未来は最初の核攻撃で終わるという確信の裏返しとして、核戦争による滅亡をかけた綱渡りをうまくこなし続ければ(訳注:最初の核攻撃さえ起こらなければ)、未来は期待に値するものになるだろうという信念があった。つまり、「すべての人にとっての平和と繁栄の新時代」の到来だ。

これと対照的なのが、今日のポリクライシス(polycrisis:多重危機)、つまり環境破壊や政治的腐敗、ファシズムの台頭がもたらす実存的な恐怖である。これらは1900年代の“核兵器による全滅か、ユートピアか”という二者択一ではない。むしろ、ありとあらゆるより良い結果とより悪い結果の絶え間のない連続だ。カールが記しているように、「それほど単純ではない。現代の我々の未来は、それぞれの約束と問題を抱えたシナリオの疲弊しきったスペクトルである」。

我々は新しい時代に突入したが、すでに時代遅れとなった未来像(そしてそれに基づく想像や行動)を引きずっている、とカールは言う。では、何がこの時代を新しくしているのか。カールにとって、それは我々の地平線上に広がる未来の種類だ。彼は、先コロンブス期のアメリカ大陸の歴史を詳細に描いたチャールズ・C・マンの『1491』を引用する。

https://www.penguinrandomhouse.com/books/107178/1491-second-edition-by-charles-c-mann/9781400032051/readers-guide

『1491』は、いわゆる「新世界」のナラティブを構成する「プロパガンダと推論のパッチワーク」を徹底的に再構築している。この本は、「ローマの勃興期のアメリカ大陸」にはすでに繁栄した都市、芸術、科学、文化が存在していたことを示している。先住民にとって、植民地化をもたらした欧州人との接触は災難であり、彼らはこの時期を「侵略」と呼ぶ。それは時代の分水嶺だった。

未来は歴史と切り離すことはできない。入植者(settler-colonialists)がこの時代の転換点を再考しようとすれば、文字通り我々の歴史上の位置づけ、我々が今立っている土地の物語の再構築を迫られる。この未来史的作業が最善の形で進めば、和解に向けた長い道のりの第一歩を踏み出すことができる。たとえば、カナダ政府がシックスティーズ・スクープの前後に先住民の子供たちを誘拐し、劣悪な「寄宿学校」に押し込んだことに230億ドルの賠償を約束したように。

1900年代のSFは、かつては合目的的だったのかもしれないが、今となってはそうではない。ジョン・W・キャンベルのような露骨なファシストが舵取りをした文学であり、彼はこの文学を、白人の企業テクノクラシーがその他すべての統治形態を凌駕するという社会の物語を植えつける手段とみなしていた。

https://locusmag.com/2019/11/cory-doctorow-jeannette-ng-was-right-john-w-campbell-was-a-fascist/

これを覆そうとしたSF作家はカールが初めてではない。実際、このジャンルの急進派、サミュエル・ディレイニーやジュディス・メリル(彼らはカールと私の師であり、私たちを引き合わせてくれた)に代表されるニューウェーブによって、絶えず挑戦されてきた。

https://pluralistic.net/2020/08/13/better-to-have-loved/#neofuturians

サイバーパンクもこれに果敢に挑戦した。私を含む多くの作家にとって、ブルース・スターリングとウィリアム・ギブスンの1981年の物語「ガーンズバック連続体(The Gernsback Continuum)」はまさに目覚まし時計だった。

http://writing2.richmond.edu/jessid/eng216/gernsback.pdf

ウィリアム・ギブスンは長年、1984年の古典『ニューロマンサー』をユートピア小説として読むべきだと主張してきた。この小説は結局のところ、避けられない核戦争が一部の都市を放射性の灰で覆ったが、それ以外の地域は被害を免れた未来を描いているのだから。

ブルース・スターリングはかつて、私が2003年に書いた、アルゴリズムが自動運転車をメタクソ化するまでを描いた物語を「この業界の他の人々を、古いスタートレックのシナリオから生まれたカビだらけの暗い地下室に住んでいるように見せる」と評して、最高の賛辞を送ってくれた。

https://craphound.com/stories/2005/10/12/human-readable/

カールは今日の急進的なSF作家たちと共に、この世界とその危機にふさわしいフィクションの未来を形作ろうとしている。「現代のテクノロジー社会において、SFは我々に何に時間とお金を費やすべきかを教えてくれる」というのだ。凡庸な億万長者たちが1900年代のSFに執着しているという事実は、我々が明らかに時代遅れの未来を手にしようとしていることを意味する。

カールにとって、マスクはこの非常に保守的で後ろ向きなビジョンを体現する存在だ。「彼は1900年代のヒーローが2000年代にタイムスリップしてきたかのように、無限の予算を費やして未来を過去の未来に作り変えるために、前世紀の知的戦いに挑んでいる」。マスクの執着は「宇宙飛行。火星への移住。サイバーパンク風のブレイン・コンピュータ・インターフェース。人工知能。自動運転の電気自動車。ヒューマノイドロボット」など、1900年代のSFそのものだ。

皮肉なことに、こうしたフィクションは自らを「ハードSF」と称しているが、恒星間旅行、あるいは近未来の大規模な惑星間文明も、完全なファンタジーである。

https://pluralistic.net/2024/01/09/astrobezzle/#send-robots-instead

カールは「2000年代の未来」を求めている。それを実現するための試みの一例として、ニール・スティーブンスンの『ヒエログリフ(Hieroglyph)』アンソロジー(エド・フィン、キャサリン・クレイマー編)を挙げる。

https://www.harpercollins.com/products/hieroglyph-ed-finnkathryn-cramer

ここでの「ヒエログリフ」は、ジェットパックや空飛ぶ車に代わって、2000年代の未来像を象徴し、誰もが認識でき、実際に存在し、ミーム化しうるガジェットやその他の何かを簡潔に表す言葉だ。このアンソロジーに収録されたカールの作品「Degrees of Freedom」は、抽象概念(ガバナンス:「人類が今、創造的エネルギーを集中すべき最も重要なもの」)に焦点を当てており、カール自身が認めるように、これはスティーヴンソンが求めていたヒエログリフとは少し違うものだった。

しかしカールはその後の作品、2019年の『Stealing Worlds』の「デオダンド(deodands|訳注:もともとは「贖罪物」を意味する言葉)」で、ヒエログリフを思いついた。それは「自分が川や森などの自然のシステムの一部であると信じ、その自然のシステムの維持と繁栄という自己の利益のために行動する」ソフトウェアエージェントだった。

https://memex.craphound.com/2019/06/18/karl-schroeders-stealing-worlds-visionary-science-fiction-of-a-way-through-the-climate-and-inequality-crises/

(私が『Hieroglyph』に寄稿した作品は、自律型の月面3Dプリンタが登場する「The Man Who Sold the Moon」で、非常にガジェット色の強いものだった。この作品はスタージョン賞を受賞した)。

https://memex.craphound.com/2015/05/22/the-man-who-sold-the-moon/

1987年にカールに出会った日から、私は彼に感銘を受けてきた。彼以上に未来についての考えを聞きたい人物はいない。それは偶然ではないと思う。というのも、カールはメノナイト(メノー派:訳注:質素を旨とする再洗礼派の流れをくむ一派。アーミッシュほど戒律は厳しくないらしい)のテレビ修理工――しかもカナディアンプレーリー(訳注:カナダ西部の大草原地帯)で初めてのテレビ修理店――に育てられた独学者なのだ。未来を理解したければ、どのテクノロジーを、どのように取り入れるかについて、こうした慎重なアプローチを取る人物の言葉に耳を傾ければいい。

Pluralistic: 1900s futurism (07 Mar 2024) – Pluralistic: Daily links from Cory Doctorow

Author: Cory Doctorow / Pluralistic (CC BY 4.0)
Publication Date: March 07, 2024
Translation: heatwave_p2p

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