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今回は、漫画家「つの丸」さんが描き、アニメ化にもなるほど、競走の世界を熱くした「マキバオー」について調査しました。

マキバオーが打ち切りと噂される理由とは

 

1994年50号から週刊少年ジャンプに掲載された、「つの丸」さんが描いた漫画「みどりのマキバオー」。

カバのような大きな顔と、ロバのような体形をしたヘンテコな競争馬が、立派なサラブレットたちに混ざって、レースで快進撃を続けるストーリーです。

アニメ化にもなるほどの人気を得た「みどりのマキバオー」と、その続編で週刊プレイボーイに掲載された「たいようのマキバオー」および「たいようのマキバオーW」(週プレNEWS)について、打ち切り説が浮上したことがあったようです。

どんな理由で打ち切りと言われてしまったのでしょうか。

 

 

 

集英社から出版している週刊少年ジャンプ。

つの丸さんが描いた「みどりのマキバオー」は、1994年50号から1997年18号までの第1部(有馬記念まで)と、1997年24号から1998年9号までの第2部(海外遠征編)が連載されたのですが、残念ながら物語の終盤で打ち切られたそうです。

なぜ、終盤で打ち切りされたのでしょうか。

(引用:Yahoo!知恵袋

 

1980年代後半から始まった第2次競馬ブームと連動するかのように、週刊少年ジャンプ、サンデー、マガジン、チャンピオンの4誌で掲載するほど、競馬人気が過熱していました。

そんな4誌のうちの1つ「週刊少年ジャンプ」で、つの丸さん作の「みどりのマキバオー」は連載をスタートし人気を集めます。

1996年3月2日からはアニメも放送されるほど、注目を浴びていた「みどりのマキバオー」。

本来は日本ダービーで完結させるはずだったのに、人気があるから終わらせてしまうのは惜しいとなったのか、日本から世界へと舞台を移して第2部である海外遠征編をスタートさせました。

しかし、主要キャラクターの一部が欠けていたり、ストーリー展開が現実離れしているなどとして不評となったのか、第1部よりも人気が低迷して打ち切りにされたというのです。

 

終わりにするのは惜しい、まだまだ稼げるからという週刊少年ジャンプ(集英社)からの強いプレッシャーでもあったのでしょうか?

つの丸さんご自身も、有馬記念までで描き切った気持ちが正直あったことと、一部のファンの間では黒歴史となった海外遠征編について、好きに解釈していただければと語っていることからも、読者がズレを感じたり、間延びした印象を受けて面白くないと感想を抱くのも、自然なことかもしれません。

X(旧twitter)でも、海外遠征編は蛇足過ぎて悲しいとのポストが上がるほどですからね。

日本ダービーまでの勢いと同じか、それ以上の人気にはつながらず失速してしまった「みどりのマキバオー」は、見通しがハズレて打ち切りになったと言えるでしょう。

 

「みどりのマキバオー」の続編としてミドリマキバオーの甥「ヒデノマキバオー」を主人公に、週刊プレイボーイで連載された「たいようのマキバオー」と、週プレNEWSに移籍しての連載となった「たいようのマキバオーW」。

週刊少年ジャンプから週刊プレイボーイ、週プレNEWSへと変わったこと、週刊誌からウェブサイトでの掲載となり媒体が変化したことなどから、マキバオーは打ち切りと思われた可能性もありそうですね。

 

マキバオーが死亡?噂はなぜ

 

ロバのような小柄な体と、カバのような顔立ちのヘンテコな競走馬「うんこたれ蔵」こと、ミドリマキバオー。

チュウ兵衛と調教師の飯富昌虎、騎手の山本菅助との特訓や、最大のライバルである「カスケード」とのレースなどを通して、競走馬として成長を続けたマキバオーですが、死亡したのではと思われたことがあったようです。

どういった流れで、主人公マキバオーが死んだと思われたのでしょうか。

 

ドバイワールドカップに出場したマキバオーは、第5レースで世界最強馬エルサレムと戦った際に事故により両前足を骨折するという、サラブレッド生命を断絶されるような重傷を負ってしまいます。

現実の世界でも、細い脚で500キロほどもある全体重を支えなければならないサラブレッドにとって、脚の怪我というのは回復が極めて困難で、苦しみながら生きながらえるよりも、安楽死という手段をとることがほとんどです。

漫画やアニメとはいえ、マキバオーも立派な競走馬。

「両足の骨折」で生死の境をさまようシーンがあったことで、このまま安楽死させられるのだろうと思った読者や視聴者も多数いたのではないでしょうか。

 

実際には、安楽死させられることも無く、不屈の強い精神力と手術を含めた治療で無事に回復。

再び競走馬として走り出したマキバオー。

かつての勢いはなくなり「終わった馬」とみなされても、自身の走りを通して挑戦する心を伝えてくれています。

ぜひ、勇気や諦めない気持ちをマキバオーで感じて下さいね。

 

マキバオーのモデルは存在するの?

 

とてもサラブレッドになるとは思えないほど小柄で奇妙な見た目のマキバオーですが、作者の「つの丸」さんは実在の競走馬をモデルにして描いたのでしょうか?

Wikipediaには、マキバオーはタマモクロスがモデルと言われていると書かれていますね。

生まれた牧場の経営難や借金にまつわるエピソード、芦毛で小柄な体をしていたタマモクロスは、確かにマキバオーのモデルにピッタリな感じがします。

作者の「つの丸」さんは、みどりのマキバオー大本命BOOKの中で、「芦毛で、そんなに大きくない牧場の生まれと、マキバオーと境遇が似ている」としています。

 

さらに、Sports Graphic Number Webでは、「ほとんどのキャラクターは特定のモデルはいません。競走馬たちのいろいろなエピソードを聞いて、面白そうだなとったものをシャッフルして組み上げていったんです。」と書かれていました。

見た目として近しいのは体の色が「白系」ということと、生い立ちや境遇をヒントとして取り入れたのは間違いなさそうですが、漫画の主人公としてのインパクトや可愛らしさを追求して、つの丸さんのリアルとファンタジーの絶妙な匙加減で生まれたのがマキバオーなんでしょうね。

 

マキバオーとは

 

週刊少年ジャンプ(1994年50号)で連載がスタートした、競馬漫画「みどりのマキバオー」。

名馬ミドリコの血を引くサラブレッドでありながら、ロバのように小柄な体と大きな鼻の穴という珍妙な見た目で生まれたミドリマキバオー。

とてもサラブレッドにはできないと馬肉にされそうになるものの、ミドリコの手助けやネズミのチュウ兵衛との出会いにより、ずば抜けたスピードと闘争心という天賦の才を発揮して、サラブレットとしての道を歩み始めます。

臆病で甘えん坊だったミドリマキバオーは、母との別れやチュウ兵衛、調教師の飯富昌虎、騎手の山本菅助とともに成長し、永遠のライバル「カスケード」を超えるため、母ミドリコを連れ戻すため、レースに挑み続けます。

「みどりのマキバオー」の続編となる「たいようのマキバオー」及び「たいようのマキバオーW」は、見た目がミドリマキバオーそっくりで、勝てずじまいのアイドルホースとなっていた「ヒデノマキバオー」を主人公に、高知競馬をはじめとした地方競馬を舞台に、競走馬としての成長から引退までのストーリーを描いた作品です。

 

1996年3月2日から1997年7月12日まで、フジテレビ系でアニメも放送された「みどりのマキバオー」。

アニメオリジナルのキャラクターとストーリー展開に、漫画との違いを比較しながら鑑賞してみるのも面白そうですね。

ミドリマキバオーから、甥っ子のヒデノマキバオーまで、競走馬の世界を笑いと涙で描いたマキバオー。

ぜひ、「みどりのマキバオー」第1巻から「たいようのマキバオー」そして「たいようのマキバオーW」まで、1冊ずつ読み進めて、努力と根性と愛情を胸いっぱいに感じてみて下さい。

 

マキバオーはどんな人に向いている?

 

今回は、週刊少年ジャンプ(1994年50号)で連載がスタートした、「つの丸」さん作の「みどりのマキバオー」と、その続編となる「たいようのマキバオー」、「たいようのマキバオーW」についてご紹介しました。

北海道の貧乏な「みどり牧場」で、名馬ミドリコの血を引くと期待されつつも、奇妙な体形で生まれてしまったミドリマキバオー。

母との別れと、チュウ兵衛、調教師の飯富昌虎、騎手の山本菅助の出会いを通して、サラブレットとしてたくましく成長し、永遠のライバル「カスケード」を超えるため、ミドリコを連れ戻すため、全力でレースを駆け抜けた「みどりのマキバオー」。

続編として、甥ヒデノマキバオーを主人公に、10年近い長期連載で競走馬の世界を描き切った「たいようのマキバオー」と「たいようのマキバオーW」。

笑いあり涙あり、努力と根性のスポーツ漫画「みどりのマキバオー」から「たいようのマキバオーW」まで読みつくして、心に熱い思いを感じて下さいね。