デイリーの記事によると…
脳科学者の中野信子氏が7日、読売テレビ「あさパラS」に出演し、パワハラ疑惑に問われている斎藤元彦兵庫県知事について「認めたら負けと思っている人の典型。人間的にはどうかと思う」と指摘しました【出典: 読売テレビ「あさパラS」】。[全文は引用元へ]
以下X(旧Twitter)より
【News Everydayさんの投稿】
中国人や韓国人のメンタルみたい。
私が関わった中韓はそういう人ばっかだった。— ででんのでん (@den198804) September 7, 2024
こいつの家族や親族のコメント取ってこいや。
— KazMaxxx (@KazyMaxxx) September 7, 2024
外国人と一緒だね
— 10fmint (@10fmint) September 7, 2024
人として…アレやろ。
— akio showa (@AkioShowa) September 7, 2024
本人は居座り続けるだろうし
維新評価は地に落ちるな— マゲ (@P9pqQeBHPGYqbrj) September 7, 2024
引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/f5a172047a1450e67572e45c36de3d6e69736752
みんなのコメント
- 知事は極端に自分中心的な考え方をしていると思います。自分の非を認める事も決してしない。だから道義的責任を問われても間違えた事をしたという認識すらないから分からないという回答が出てくると思います。きちんと謝罪をする事もない。都合の悪い話になるとを話が違う方向に向かい長々と話した挙句に問いに対し適切に答えない事も多いと思います。認める事で負けと思っている典型的な人という説明はその通りだと思います。
- 今の選挙制度ではこういう人間性を見抜くのはかなり難しい。兵庫県の人々は知事ガチャに外れちゃったわけだけど日本全国、国政も含めてこういう事が度々起きちゃう。 選挙制度の欠陥というか民主主義の在り方をもう一度考え直して改善していく時期に来ていると思うよ。
- 実際のところ赤が何か理解していないしするつもりも無いが、当時それを赤だと判断したのは適切であったと確信している。。 改めて聞かれると「赤が何なのか」は私が決める事ではないと思うが、当時私が赤だと言ったことで傷ついた人がいるのなら謝りたい。 しかし当時の判断が適切であったという認識に変わりはない。 誰に何を謝っているのか本人も分からないと思う。
- こういう育ち方をした人間は、たまに周囲でみますが、あまり、関係を持ちたくない性格です。頭が良いので、理論的な弁がうまいが、見方によったら利己的な屁理屈にだんだん思えてくる。結果的に善ではなく悪だけが際立って見えてくるのです。子供のころ、頭さえよければ、善悪の判断力がないがしろにされ、人より賢ければ、無責任でもいいと身につけてきた。頭で勝つことを最優先に生きてきたので、絶対、負けは認めない。悲しい人間です。小さい時からのとりまきが悪かった。謝ることを誰もおしえなかったようです。兵庫県民のみなさん、がんばれ。
- 道義を感じる領域がない、とはかなり的確な表現だなと思います。 委員会でのやり取りを聞いていても、話が噛み合っていない印象を受けますが、道義という部分でキャッチボールが出来ていないからなんでしょう。 本来、人としてあるべき大切な部分が欠落してしまっているから、非人道的なことを行い得るのですね。
- 「謝ったら負けと思う人」と同じ部類ですかね。 誰にでも過ちはありますが、仕事をはじめとする集団行動は自分の非を認める勇気が無いと、周りから信用されませんからね。 認めたり謝ったりすると、周りから軽く見られるのでしょうか? それは斎藤自身のこれまでの職場の風潮なのでしょうか? 斎藤は周囲の信用など無くても、自分の権力だけで県政を進められると思っているのでしょうか?
- 何としてでもしらばっくれて切り抜けないと、関連して死亡した人たちに対しての責任が生じるから、何が何でも認めるなとの弁護士の入れ知恵なんでしょう。でも事は人の命の問題になっているのだから、有耶無耶にせずに徹底的に刑事・民事の両面から捜査追及して欲しいです。
- もはや転職することは難しいだろうから、 今の職にしがみついて結果を出すことで生き残るということに賭けていて、 だから意地でも自分の間違いを認めないんじゃないかと思ってます。 何にしてもこの人の人生は終わりだろうな。 これだけ人からの見られ方を気にする人間が、 この先ずっと冷ややかな視線を浴び続けることに耐えられるのかね
- たいへん的を得たわかりやすい解説だと思います。 自分だけを守り抜く姿勢というか、知事のままでいたい。 勉強はできる人だから、次の選挙で当選もないし、鞍替えも 難しいことはわかっていると思います。 知事の身分がが終わる恐怖に、相当参っているでしょう。 他人のことや自分の恥など思う余裕がない。
- 相手や状況を相手の立場にたって考える、という回路がこの人は、持っていません。ありません。だから、考えることができないし、理解できないのです。こういう人に人情論や相手はどうおもうか、は、つうじません。パソコンのような感じです。機能はいいけど、相手を思いやるなどはない。完成すべきことができるのみ。こういう人には理詰めで、端的に犯罪です、だから逮捕します。というしかありません。もちろん納得なんかしません。納得するときは、自身が話したことに周囲が対応したときだけです。回路はありません。
- 道義的責任が1番上の上位事項、次に法律。 知事を含め知らない人が多すぎる。 同義的責任は、破る人がいないのが前提で当たり前の事なので、罰が規定されていないだけ。人間の全ての細かな行為を全て法律で制定する事は膨大になり不可能。 道義的責任を破る罪は巨大です。
- 社会生活においては立場や見方の違いで考え方や答えが違う事が間々ある。 それが理解できない人は自分がやっている事は普遍的に正しいと思っている。 そんな人は足手まといにしかならないから一緒に仕事をしてはいけない。
- 業者からの提供品をどこかの部署、部下にあげると『特別扱い』になるから、自分が持って帰った。などの発言があったが、そこで自分が『特別扱い』になっていることが第三者からしたら当たり前に見える。普通は。 でも、本人は全くわからないんでしょうね。 なぜなら、自分は世界の主人公と考えているんじゃないでしょうかね。 例えるなら、RPGの主人公と一緒。他人の家に入るのは当たり前。他人の家でツボを割っても当たり前。宝箱の品を無断に持ち帰っても当たり前。そんな感覚なんでは?
- いずれにせよ、社会的に抹殺されたことはすでに確定している。雇ってくれるところはないだろうし、またあったとしても、知事経験者のプライドが邪魔して普通の会社員じゃ我慢出来ないだろう。つまり、今後生計を立てていくには、自分で起業するぐらいしか道が残されていないということになる。本人もこれからどうやって食っていくか、不安でたまらないだろう。もしまだ子どもが成人していないなら、他人ごとながら心配してしまう…
- どれもこれも本当にしょぼいしセコいけど、別に犯罪でもないんだから認めて謝ればよかっただけなのにな。だけどそれができないから話がどんどん大きくなって周りを巻き込んで犯人探しなんて始めてしまったから自さつ者まで出してしまったな。もうこうなると謝っても許されるはずないし、知事を辞めるどころか公益通報者保護法違反にすら問われる事になるだろうね。もちろん亡くなった職員の家族から民事で訴えられる可能性だってあるんじゃないかな。
- 斎藤兵庫県知事の「認めたら負け」思考の裏には、総務官僚として長年官公庁の内部から権力構造を深く把握している実体験があると思う。その経験上、自民党から愛想を尽かされてもまだ擁護してくれる維新から推された知事として直面する百条委員会や部下達の告発攻勢に、辞職して一般人として対峙するのは人事圧力も掛けられず相当不利だという冷徹な計算も働いていそう。
- >メンタルが強いというより、道義を感じる領域がないと思う 親族がそうで職位が上がったタイミングで酷くなりましたね 私の中では倫理観に難ありと感じては居たのですが【道義を感じる領域がない】に長年のモヤモヤが解消した思いです 領域がなければ感謝や謙虚を教えても無駄なはずですね、ないものはない!!スッキリしました 中野先生に感謝です、人生を無駄にする事なく進めます
- 今までのあれこれを見聞きするに、彼は人間として大事なところがすっぽり抜け落ちているのでは、と感じる。 『赤い色が見えない人に赤い色を説明するみたいなもの』というのは言い得て妙だと思った。 遺族が彼を告訴することはできないのかな。短い期間で2人ものひとが自死している、て異常だよ。彼に反省を促すことは難しい。法で裁いてほしい。
- もともと余裕のない努力型の優等生で東大時代はコンプレックスを感じていたタイプではないか?指導とか指示とかいう言葉を多用するのも、自信の無いことの裏返し。知事としては若いこともあり、舐められてはお終いという気持ちで行動して来ているのではないか?また、プラスして脳に共感する領域が無い、というのもなるほどと納得感。兵庫も静岡も、こういう人物を知事にしてしまった不幸と担ぎ出した政党の責任は重い
編集部Aの見解
最近のニュースで、斎藤元彦兵庫県知事のパワハラ疑惑について話題になっているが、正直なところ、彼の対応には驚きを隠せない。脳科学者の中野信子氏が指摘しているように、「メンタルが強い」というより、「道義を感じる領域がない」という言葉がまさに的を射ている。斎藤知事は、百条委員会で「道義的責任が何か分からない」と発言していたが、普通の感覚では、そんな発言は到底理解できない。
百条委員会での発言に加えて、彼はパワハラを告発した職員を公益通報保護法の対象としなかったことについても「公益通報に該当しないと今でも思っている」と断言した。こういった態度を見ていると、やはり「認めたら負け」と思っている人の典型だと思わざるを得ない。中野氏もその点について指摘しており、「人間的にはどうかと思う」という彼女の言葉に私も同感だ。
しかし、このような態度を取る人物が知事であるという事実には、日本の政治の現状に対して深い不安を感じる。斎藤知事のように、道義的責任を感じないリーダーが増えると、日本の社会全体が崩れていくのではないかと懸念する。政治家は国民に対して誠実であるべきだが、斎藤知事のような人物が公職に就いていると、国民の信頼が揺らぎ、日本の秩序が危うくなる。
「認めたら負け」という考え方は、リーダーとして非常に危険だ。問題があるなら、正直に認めて改善する姿勢こそが、リーダーに求められるべきものだ。斎藤知事が「鋼のメンタル」と称されているが、それは誇れるものではない。責任を回避するための言い訳にしか聞こえない。私たち日本国民は、このような態度を許してはいけない。
斎藤知事のような人物が、今後もリーダーとしての地位に留まるのは、日本にとって大きな損失だ。日本はこれまで、道義や秩序を重んじてきた国だ。それを軽んじるようなリーダーが増えることは、私たちの未来にとって非常に危険である。だからこそ、今こそ声を上げ、日本に害をなすような人物や行動を徹底的に排除し、日本と日本人を守らなければならない。
また、この問題は単に一人の知事の問題に留まらない。斎藤知事のような人物がリーダーとなり、責任を取らない姿勢を貫けば、それは他のリーダーたちにも悪影響を与える。責任を回避し、道義を無視することが当たり前になるような社会にしてはいけない。それを防ぐためには、国民一人ひとりが声を上げ、しっかりとしたリーダーを選ぶことが重要だ。
最後に、日本はこれからも道義と秩序を守り続けるべきだ。そのためには、リーダーがしっかりと責任を果たし、国民の信頼を取り戻すことが不可欠だ。斎藤知事のような態度を取るリーダーは、日本の将来にとって危険であり、排除されるべきだと私は強く感じる。日本と日本人を守るためには、こうした問題に対してしっかりと向き合い、行動を起こすことが求められている。
執筆: 編集部A