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「支援物資待っていたら全員飢えていた」能登半島地震発生から1週間、被災者あふれ住民独自に避難所開設も多く
「支援待っていたら全員飢えていた」被災者あふれ住民独自に避難所開設も多く 能登半島地震発生から1週間
石川県で最大震度7を観測した能登半島地震では、被害が甚大な輪島市や珠洲市など奥能登地方を中心に道路の損壊が激しく、通信状況も悪化したため、行政や自衛隊が避難所に支援物資を届ける作業がスムーズに進まなかった。また、行政の指定避難所に入れなかった被災者らは自主的に避難所を開設し、自力で物資を調達ししのいでいた。発生から8日で1週間。避難所の課題を探った。(高橋雅人、武藤周吉、郷司駿成、加藤壮一郎)
◆輪島市160カ所のうち8割近くが自主・臨時
「市の支給だけなら、全員飢えていたかもしれない」。輪島市内で、30人が身を寄せる自主避難所の集会所を運営する主婦道畠裕子さん(66)は、そうこぼす。食料は、住民が親類などを通じかき集めて不足はない。ただ、「自助努力だけで長期間運営するわけにもいかず、先も見通せない」とため息をついた。
被災住民が、行政指定の避難所に入らず自主避難所を設置するのは、指定避難所に人が多く集まり、収容しきれなかったことが要因の一つとして挙げられる。
輪島市では、開設された避難所160カ所(7日午後3時時点)のうち、市の指定避難所は35カ所にとどまり、8割近くが自主避難所や市が臨時開設した避難所などとなっている。市の想定を上回る被害が市内全域で発生したためで、郵便局や農協などのほか、ビニールハウスが避難所となっている例も。
◆市の担当者「対応が追いつかない」
56人が避難するJAの支店は、指定避難所の中学校などにいったん逃げたが、収容しきれなかった被災者が滞在できるよう、市が急きょ避難所として開設。運営にあたる市職員の泉俊弘さん(32)は「水がなく手が洗えない状況で、清掃作業をする手袋がなく困っている」と話した。
避難所での生活をあきらめ、車中泊を選ぶ被災者も。軽自動車で寝泊まりする男性(75)は「ガソリンがいつ切れるか分からず、節約しながら使っている。夜が本当に寒い」と漏らした。
市の担当者は「できる限り(避難所の)環境を整えたいが、道路が寸断され通信環境も十分でない中、対応が追いつかない」と話した。インフラの復旧を急ぐとともに、長期の避難が想定され、仮設住宅を早期に設置することなどが求められそうだ。
◆珠洲市も道路寸断で物資輸送阻まれ
珠洲市役所から南西約5キロにあり、約20人が避難する林業研修センターに支援物資が到着したのは、被災から4日目のことだった。しかも、届いたのはペットボトルの水2本のみ。男性は「市の指定避難所にしてもらうように昨年から要望していたが…」とつぶやいた。
指定避難所ではないため、センターには備蓄はなかった。発生直後から身を寄せる70代男性は「みんなでおせち料理などを持ち寄っていた」と明かす。市が避難所として把握していなかったことが支援の遅れにもつながったとみられる。
物資の輸送を担当する陸上自衛隊金沢駐屯地の白倉海里さんは「珠洲市は広域で各地の集落に通じる道が寸断されていた」と指摘。倒木をどかしたり、段差に砂利を敷いたりして道路を補修し、市内に70ある避難所全てに届けられるようになったのは5日だった。
◆携帯電話通じず、ニーズ把握に時間
総務省から派遣され、市長を補佐する水谷健一郎さんは「通信状況が悪いのも痛い」。山間部では携帯電話が通じず、避難者のニーズを把握するには直接行くしかない。民生委員が自衛隊車両に同乗して回っているが、往復には丸1日かかり、迅速な対応は難しい。
それでも水や食料は行き渡り、7日からはガソリンも携行缶に入れて山間部に運び始めた。避難所は必要なもののリストを作成し、自衛隊に要望。男性は「今は特に困っていない」とした上で、こう付け加えた。「何と言ってもみんな風呂に入りたい。心身ともに疲れてきているから」
【東京新聞】
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