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以下の文章は、電子フロンティア財団の「Speaking Freely: Ethan Zuckerman」という記事を翻訳したものである。

Electronic Frontier Foundation

インタビュアー:

イーサン・ザッカーマンはの教授で、公共政策、コミュニケーション、情報学を担当している。彼は現在、Institute for Digital Public Infrastructureという新しい研究センターの立ち上げを進めている。長年にわたり、彼はテックスタートアップ(Tripod.com)や非営利団体の創設者(Geekcorps.org)、共同創設者(Globalvoices.org)として活動し、その間一貫してブロガーでもあった。

2008

まず、あなたと出会った当時の状況から始めましょうか。あなたには、初期のGlobal Voices(訳注:世界中の市民メディアをつなぐ国際ネットワーク。)に深く関わってもらいましたね。私はや素晴らしい仲間たちと一緒に、ほとんど触れることのない声を増幅するために、このオンラインコミュニティを立ち上げました。私は、テクノロジーを用いて、ほとんどの人が行ったことのない地域、ニュースでも注目されない地域から上がる声をどうやって増幅できるかを考えることにキャリアの大部分を費やしてきました。2000年代初め、レベッカと私は、ブログや新しいテクノロジーを駆使して、いま起こっていることを報告する手法に興味を持ったんです。私は、サハラ以南のアフリカ、レベッカは北朝鮮などに興味を持っていて、そういった地域で何が起きているのかを、たとえばその地域に訪れる中国人ビジネスマンの視点を通じて理解しようとしたんです。

稿WordPressTor使

ハーバード大学のでも、一緒に検閲の問題に取り組みましたね。私が注目しているのは、歴史を振り返ってみて、検閲がオンライン上でどのように変化してきたか、誰が言論の抑圧に関わってきたか、という点です。当初は、サウジアラビアやチュニジア、中国などの政府が国家レベルで特定言論を遮断するというような検閲を考えていました。「これは言っちゃダメだ。言ったら削除されるか、最悪逮捕されることになるぞ」というふうにね。その後、私たちは企業や プラットフォームによる検閲への懸念にもフォーカスしていきました。あなたはこの問題に深く関わっていますよね。女性の乳首問題とかで、Facebook、いまのMetaとバチバチに戦ったり。企業がユーザの考えとはまったく無関係に、プラットフォーム側の基準に基づいて、何が許容される言論で何が許容されない言論かを決めてしまっているわけです。

2010年代後半のどこかで、戦場が少し変わったように思います。今でも国家やプラットフォームがインターネットを検閲していて、どちらも以前よりずっとうまく検閲している。(訳注:ただ、それらとは別の抑圧が)本格的に始まったのがだと思っていて。ゲーム業界の批評家として、ビデオゲームにおけるフェミニストのカウンターナラティブについて語る女性たちに、オンラインコミュニティの一部のメンバーから非常に敵対的で、攻撃的な反応がありました。を始めとする、この分野のリーダーたちに激しい女性嫌悪的な暴言が浴びせかけられたんです。これはもう、言論を黙らせるためのもう1つの形態なんですよ。いまや、発言への報復は極めて深刻なものになっています。たとえば(swatting|訳注:警察にウソの通報をして、黙らせたい相手の自宅に警察特殊部隊を送り込む嫌がらせ)されたり、アニータのように、発言者を殴りつけるゲームをリリースされたりする。グレートファイアウォールやブログの削除のような(訳注:直接的な)黙らせ方ではありません。でも発言がもたらす結果があまりにも大きくなってしまって、言論環境が一変してしまったのです。これがとても厄介なのは、言論を沈黙させるために言論を用いる人の中には、自分たちの言論の自由の権利について語り、自分たちの発言が言論の自由に保護されていると主張する人がいることです。ある意味では、彼らは正しい。でも別の意味では、彼らは非常に間違っている。彼らは言論を使って、他者の言論の結果をおそろしいものにし、ある種の言論を非常に難しくしているのです。

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ヨーク:それについて少し掘り下げてみましょう。私にとっても複雑な問題だからです。ここ数年、私の見方も変わってきました。でも今も、アフリカ大陸中でLGBTQ+の言論を封じる法案が提出され、サウジアラビアはいつもの調子で(訳注:たとえば2023年にはがくだされた)、スーダンはインターネットを再び遮断し、イスラエルはパレスチナでインターネットを遮断し続けていて、イランでも何らかの遮断が続いているなど、事例を挙げればきりがないありません。米国でも、子どもオンライン安全法案(Kids Online Safety Act:KOSA)のように、多くの人々の表現の自由を必ず損ねることになる提案がなされています。米国ではさらに、中絶に関する言論も萎縮している。このような例を考えると、私たちが互いに言論を抑圧・検閲してしまう問題と、私たちが直面する現実的で継続的な言論の脅威とをどのように区別したらよいのでしょうか?

イーサン:この状況にかかわる主体には、それぞれ異なるレベルの力があるという指摘は有益だと思います。子どもオンライン安全法案(KOSA)を例に取りましょう。この法律には、禁止される言論を各州の州司法長官に委ねてしまうという深刻な危険性があります。そして米国の(訳注:一部の)州司法長官たちは、「トランスジェンダリズム」、あるいは彼らが「LGBTQアジェンダ」とみなすものと戦うために、これを行使すると言っています。ですが、ほとんどの人は、私たちにはありのままの自分を表現する権利があると考えていて、ある州が「18歳未満の子どもにアクセス可能なコンテンツを検閲する」と言い出したとしても――実際に言い出しているんですが――現在のイカれた米国最高裁ですら違憲だと判断するでしょう。

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同時に、国家の権力やプラットフォームの権力を深く懸念するのと同じように、言論環境の変化によって、人々が参加すること、あるいは参加しないことがとてつもなく難しくなる可能性があることも認識されなければなりません。その一つの例が、多くの面で、イーロン・マスク率いるTwitterの変質でしょう。技術的な変更だけでなく、モデレーションの変更によって、Twitterは多くの人にとって安全な空間ではなくなりました。「言論の自由」の名のもとにハラスメントや脅迫が横行し、プラットフォームに居づらくなるような環境が生まれている。インド出身のムスリム女性であればなおさらです。これは、友人で学生のと一緒に取り組んできた問題です。の女性たちは、Twitter上での集団から攻撃を受けていて、彼女たちにとって「発言すること」はとてつもなく危険で恐ろしいものになっている。彼女たちが何か言おうものなら、女性蔑視のトロールたちが襲いかかり、彼女たちをプラットフォームから追放しようとしてくるわけです。つまり、ヒンドゥー至上主義者の言論の自由が保障された環境は、カシミールの独立や、インドにおけるムスリムの平等を訴える人たちにはあまりに危険な環境になってしまう。そうして、国家なりプラットフォームなりに、公平な場を作るのを助けてほしい、誰もが発言できる空間を作るのを助けてほしいと泣きつくようになるわけですが、その国家やプラットフォームも突然「これは言っていい、これは言っちゃダメ」と言い始める。だからこそ、あっという間に複雑になってしまうんです。

ヨーク:匿名の言論については、世界中で多くの課題があります。たとえば、英国のですね。この法律は匿名の言論についても少し踏み込んでいます。また、私たちは2人とも、オンライン上の弱い立場のコミュニティを守るために匿名性が重要だと書いてきました。この数年間で、匿名性や偽名性に対するあなたの見方は変わりましたか?

黎明期のブログで面白かったのは、内部告発者が出てきたことです。政府内部の情報を持つ人たちが、自分の国や州で起きていることを伝える方法を手に入れた、というわけです。の台頭にもつながっていくと思うんですが、当時は匿名性は真実の証のように捉えられていたフシがあって。匿名でなければならないのは、真実に近すぎるからかもしれない、という感じでね。そうして多くの人がリークを真剣に受け止めた。これはリークだ、非公式の物語だ、注意を払うべきだ、と考えるようになったんです。メディア環境の変化に伴って、情報のリークや匿名性の保護という概念も、ある種武器化されていったようにも思います。ウィキリークス自体が複雑なナラティブをはらんでいて、当初はケニア政府の内部文書のようなインサイダー情報をリークしていたのが、“この中のどこかに重要な何かがあるはずだ”という考えに基づいて莫大な文書群をリークするようになった。多くの場合、確かにそこには何かがあったんですが、無数のカスも含まれていましたよね。そうして、リークは戦略として使われるようになりました。今では、ある文書に注目してもらいたいなら、大々的に「リークするぞ」と言えばよくなってしまいましたね。

同時に、匿名性を武器にする人も出てきました。有名なのは、「Gay Girl in Damascus」ですね。自分を保守的なコミュニティ(訳注:シリア)に住むレズビアンだと称する人物が、そこでの経験を匿名で伝えていたんですが、実際にはスコットランド出身の中年男性だった。話を聞いてもらうために、アイデンティティを偽っていたことが判明したんです。みんな知っているように、白人の中年男性がオンラインの対話で発言権を持つことはほとんどありません。だから彼は、シリア人のレズビアン女性になりすますことで話を聞いてもらおうとした。その状況を解明する過程で分かった本当に興味深い点は、彼が別のなりすましレズビアンと交際していたということです。そのフェイクレズビアンも、オンラインで声を上げるためにレズビアンになりすましていた別の男性だったんです。そうして、「匿名だから、おそらくすごく強力な情報源だろう」というとてもナイーブな見方から、「匿名だから、たぶんまたトロールだろう」という見方に変わっていきました。

ここで話したいのは、の話です。オンラインでの表現の自由について考える時、いつも彼のことを思い出します。ハオ・ウーはドキュメンタリー映画監督です。いまでは著名なドキュメンタリー映画監督の1人ですね。中国のライブストリーミングを扱った『デジタル人民共和国(The People’s Republic of Desire)』など、大変高く評価された作品をいくつか手がけています。最近も、武漢のロックダウンを描いた『76 Days』を公開しています。でも、彼のことは間接的に知りました。彼は中国で地下キリスト教会の現象を取り上げた映画を撮っていたんですが、逮捕されて5ヶ月間拘束されていました。彼は熱心なブロガーでしたから、彼のことはGlobal Voicesのコミュニティを通じて知っていました。私たちは彼の仕事を注目していたんですよ。でも、その彼が突然沈黙してしまった。

Free Hao Wu

私たちの共通の友人にがいますね。彼は成人してからの大半をエジプトの刑務所で過ごし、何度も何度も拘留されてきました。彼の家族や元パートナー、多くの友人は、何年も何年も何年も彼のために活動してきました。誰かが発言する権利、政治的な行動を起こす権利、芸術を創る権利を擁護するというこのプロセス全体は、その状況に近ければ近いほど、難しくなっていきます。その状況に近づけば近づくほど、覆そうとしている不正義が自分自身にも向いてくるのですから。遠く離れた場所で声を上げるのは簡単ですが、近ければ近いほど声を上げることはとても難しい。地球の裏側で上がった声を耳にしたなら、このことを考える良い機会だと思います。声を上げている人たちは直接的な影響を受けている人たちなのだろうか? 彼らは危険が差し迫っているから声を上げているのだろうか? あるいは、私たちは何か誤解をしていて、一見自明で正しい主張をしているように見えるが、実際には私たちが考える以上に複雑なのではないか?と。

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私は大柄な人間です。久しぶりに300ポンド(約136kg)を切りました。でも長い間、成人してからずっと、290〜310ポンドの間を行ったり来たりしていました。それで約半年前からランニングを始めました。380ポンド(約172kg)で初めてのマラソン大会に出場したという男性に触発されたんです。彼はAFというランニングクラブを設立したんですが、そこには非常に活発なオンラインコミュニティがあって、どんな体型の人にもフィットネスとランニングを提唱している。今では、週に3〜4回はこのグループにログインして、ランニングの記録を取ったり、励まされています。このコミュニティに参加するには、まずエッセイを書かなきゃいけない。それに、体重の話をしてはいけない、減量の話をしてはいけない、体型の話をしてはいけない、とかたくさんの禁止ルールに同意しないといけない。そう聞くと、「言論の自由はどうした!表現の自由はどうした!」と言われるかもしれませんが、このコミュニティのメンバーになるために、一旦それは脇に置くことにしたんです。減量や体型などについて話したいと思ったら、プルリヴァースであれば他の場所でできるんですから! この健康的なオンラインコミュニティの一員になって、たくさんのサポートを受けるためには、そこのルールに同意して、ある種のものを箱にしまわなければならない。

沿TwitterFacebookReddit

このような空間で常に問題になるのは、コミュニティがひどく恐ろしいルールを望んだ場合にどうなるか、ということです。そのコミュニティがKiwiFarms(訳注:4ch)で、ルールが“トランスの人を見つけて嫌がらせをすること、可能なら死に至らしめること”だったらどうでしょう。その小さな部屋がStormfront(訳注:)で、1939年のパーティのように大騒ぎしたら? 私たちは白人至上主義やキリスト教至上主義、反ユダヤ主義、反イスラム主義に再び戻ることになるのでしょうか? あるいは、グループが児童性的虐待資料(CSAM)のやり取りを望む場合、事態はさらに厄介になります。彼らは間違いなくそれをやり取りしますからね。もしくは、許可なく不同意の性的イメージを生成したい場合は? テイラー・スウィフトが決してしたことのない、あるいは少なくとも出回ったことのないイメージを生成したいグループだったらどうでしょう?

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数ヶ月前に「The Three Legged Stool(三本脚のスツール)」という文章を書きました。これは、プルリヴァースなインターネットを実現し、モデレーションとガバナンス可能性(governability)を得るためのマニフェストです。私たちがロイヤル・クライアントと呼ぶものを通じてコントロールを得ること、プラットフォームがこうした機能を実装する能力を持つことからなるアイデアです。その兆候は見られ始めています。「ああ、MastodonはCSAMの巣窟になるぞ」と言う人たちもいますが、正直なところ、私はそうは思いません。それはもっと閉鎖的なチャンネルで起こっている。でも、ユーザー生成コンテンツが実現したその日から見てきたのは、ポルノが投稿されて、そのポルノの一部が公序良俗に反すると見られるということです。そうして、ポルノと法的に禁止された表現との境界が曖昧になっていく。だから、何らかのアーキテクチャ的な解決策が必要なんです。いずれ、こうした技術的・アーキテクチャ的な解決策について考えもせずにノードを実行すれば、非常に無責任だと見られるようになると思いますし、こうした基本的な保護を導入していないサービスは、選択されなくなるのかもしれません。

面白い質問ですね。多くの人が挙げると思いますが、です。私にとっての表現の自由の最も重要な役割は、権力者に説明責任を果たさせることです。マリアがフィリピンの「」でやっていたのは、独裁が進む政府の行動に責任を取らせることでした。その過程で、彼女は投獄や失業など非常に深刻な事態に直面したのですが、彼女の闘いは、ドゥテルテ政権への国際的な注目をもたらし、報道の自由、表現の自由を守ることの重要性について世界的な対話を開くきっかけとなりました。もちろん、ジャーナリストの表現の自由だけが唯一重要な表現の自由だと言いたいのではありません。どんな表現であれ、その大部分が自由であることは重要だと思います。でも、とりわけ重要だ、とは思っています。そして、現実に力を持ち、現実の結果をもたらした表現の自由は、特に称賛に値すると思います。マリアは他にも、多くの人々を巻き込んで、Facebookや監視資本主義の経済モデルが表現の自由の対話にどのような影響を及ぼしているのかを考えさせました。個人的で個別的な闘いから、グローバルな対話へと昇華させていく力は、信じられないほどパワフルだと思います。

Speaking Freely: Ethan Zuckerman | Electronic Frontier Foundation

Author: EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: May 21, 2024
Translation: heatwave_p2p

The post first appeared on p2ptk[.]org.