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以下の文章は、電子フロンティア財団の「NO FAKES – A Dream for Lawyers, a Nightmare for Everyone Else」という記事を翻訳したものである。

Electronic Frontier Foundation

パフォーマー、そして一般の人々が、AIが生成する模倣によって自分たちの仕事が奪われたり、名誉を傷つけられるのではないかと懸念を強めている。この問題の解決を謳う法案が複数登場しているが、そのどれもが新たな問題を生み出すだけの代物である。その典型例がNO FAKES法案だ。我々は4月の段階で「討議草案」の数多くの欠陥を指摘したが、効果がなかったどころか、公開された最終文書では、さらに改悪されていた。

NO FAKES法の下では、あらゆる個人が、自分の「デジタルレプリカ」を作成・頒布した者を訴える権利を持つ。このレプリカは「新たに作成された、コンピュータが生成した、ある人物の画像、声、または視覚的な類似性の電子的表現」と広く定義されている。この権利は本人、その画像、声、または類似性を使用するライセンスを持つ者、そして本人死亡後最長70年間にわたってその相続人に適用される。これは連邦知的財産権であるため、セクション230の保護(プラットフォームやユーザ生成コンテンツをホストまたは共有する第三者にとって重要な免責保護)は適用されない。たとえレプリカを作成していなくても、それが許可されたものかどうかを確認する術はない。しかも主張を検証する手段がなくても、コンテンツが違法であるという通知を受けた瞬間から、この法的リスクは始まる。このようにNO FAKES法は典型的な「野次馬の拒否権」を生み出す。つまり、誰でも根拠のない非難を利用して、気に入らない発言を削除させることができるのだ。

この法案は、表現の自由への影響を制限するために、報道、風刺、伝記映画、批評などについて様々な除外規定を提案しているが、それらの適用は良くて不確実なものだ。例えば、「善意の」ニュース放送におけるレプリカの使用については、そのレプリカが放送のテーマに「実質的に関連している」場合に免責される。市民ジャーナリズムは「善意の」ものとして認められるのだろうか。そして、レプリカが「実質的に関連している」かどうかを誰が決めるのか。

これですら未解決の問題のほんの一部に過ぎず、そのすべてが弁護士に莫大な富をもたらす。一方、弁護士以外の人々、とりわけ著名人を取り上げるジャーナリズムや創作活動で生計を立てている人々に利益をもたらすことはない。

この法案には、DMCAの通知と削除のプロセスをモデルにしたセーフハーバー制度も含まれている。NO FAKES法の免責保護を受けるためには、違法性の通知を受け取ったプラットフォームは、申し立てられた違法コンテンツの「すべてのインスタンス」を削除しなければならない。これは行き過ぎた要件であり、プラットフォームに、YouTubeのContent IDのような欠陥のある著作権フィルタに類似した、「レプリカフィルタ」の採用を促すことになる。そうした通知を無視したプラットフォームは、無許可のレプリカに「リンク」しただけでも責任を負うおそれがある。そして、作成、送信、表示ごとに5000ドルの罰金が科される別個の違反となり、その違反はすぐさま積み上がっていく。この法案はプラットフォームに大して役に立たない救済策も用意している。コンテンツが合法であるという客観的・合理的な信念を有していたことを示せれば、判断を間違った場合でも100万ドルを支払うだけで済むのだという。

このすべてが民間検閲を生み出す材料となる。何十年もの間、DMCAのプロセスは合法的な発言を標的にするために定期的に悪用されてきた。NO FAKES法がそうならないと考えるに足る理由はまったくない。

さらに悪いことに、NO FAKES法はDMCA以上に、合法的な発言のためのセーフガードが設けられていない。例えばDMCAには、発言者が自分の作品を復旧するための比較的シンプルな異議申し立てプロセスが含まれているが、NO FAKES法にはそれがない。むしろ、NO FAKES法は発言者に14日以内に裁判所に駆け込み、自分の権利は自分で守れとと突き放している。力のある者はお抱えの弁護士にそうしてもらえるが、ほとんどのクリエイター、活動家、市民ジャーナリストには無理だ。

NO FAKES法には、理屈の上では不適切に標的にされた発言者が、通知送信者に責任を負わせられる規定が含まれている。だが、その虚偽が「故意」であることを証明しなければならず、これは送信者がその虚偽が真実であると「主観的に」信じている限り、その信念がいかに不合理であっても罰を免れると解釈されうる。除外規定の多様な解釈方法に関する未解決の疑問(さらに我々がすでに目にしているIP保護の限界に関する一般的な混乱)を考えると、このような救済策は役立ちそうにない。

このような重大な欠陥を考えれば、この法案は直ちに廃案にされなければならない。ただ、それは残念なことでもある。欺瞞的なAI生成レプリカは実際の害を引き起こす可能性があり、使用を許可したパフォーマーは自身の肖像の使用について公平な報酬を受ける権利がある。既存の法律でこの大部分に対処できるものの、そのギャップを埋めるために、議会は的を絞った、バランスの取れた提案を検討すべきだ。

一方、NO FAKES法は的を絞れてもいなければ、均衡も取れていない。さらに、議会による越権行為でもある。憲法は、人名や肖像を含む事実に財産権(つまり独占権)を付与することをを禁じている。

NO FAKES法の褒めるべき点は、肖像の使用に関する交渉で弱い立場にある個人を保護する条項があることくらいだ。例えば、この新しい権利は本人が生存している間は他者(映画スタジオや広告代理店など)に譲渡できない。そのため、ある人物が自分のパブリックなアイデンティティの管理権を手放すよう圧力をかけられたり、だまされたりすることもない(相続人には可能だが、亡くなった著名人はおそらく気にしないだろう)。また、未成年者には追加の保護がある。例えば、成人になる前に権利をライセンス供与できる期間に制限がある。

だが、この法案の欠陥は利点を大きく上回っている。NO FAKES法は、合理的または妥当な期間をはるかに超えて長く続く、拡張的で混乱を招く新しい知的財産権を創設する一方で、合法的な発言のためのセーフガードが極端に少ない。上院はこれを破棄して、一から作り直すべきだ。

NO FAKES – A Dream for Lawyers, a Nightmare for Everyone Else | Electronic Frontier Foundation

Author: Corynne McSherry / EFF (CC BY 3.0 US)
Publication Date: August 19, 2024
Translation: heatwave_p2p

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